五所川原市に向かう途中、いつもどこかで「津軽鉄道」という言葉が頭をよぎる。太宰治が生まれ育った金木を通り、ストーブ列車で知られるローカル線が走るこの地域は、青森の中でも独特の空気を持っている。五所川原に来るのはたいてい施設調査や設備の見積もりがらみだが、そのたびに立ち寄りたくなる温泉施設がある。石岡藤巻にある音次郎温泉旅館だ。
場所は市の中心部からやや外れた住宅地の中。看板を見ていないと通り過ぎてしまいそうな外観だが、地元の人間はみな知っている。駐車場に車が止まっていない日を見たことがない。朝6時から開いていて、夜10時まで営業している。年中無休。これがどれほど地域に根付いているかを示している。
浴室に入った瞬間の驚き——天井の壁画
脱衣所から浴室の引き戸を開けると、真っ先に天井を見上げたくなる。そこには満開の桜の木が描かれており、その幹の間をオレンジ色の列車が走っている。津軽鉄道の「走れメロス号」だ。春の津軽の風景を見上げ続けながら入浴できる。
洗面器もピンクで統一されており、浴室全体がひとつの色彩テーマで設計されている。銭湯や温泉旅館の浴室に個性的な壁画が描かれることはよくあるが、天井一面に桜と列車を配したセンスは珍しい。「可愛い」という感覚と「津軽らしい」という感覚が重なって、自然と力が抜ける。
「浴場に入った瞬間、天井に描かれた満開の桜と津軽鉄道列車『走れメロス号』が目に入ります」
津軽鉄道は1930年(昭和5年)開業。五所川原から中里まで20.7kmを走る第三セクター鉄道で、冬季に運行されるストーブ列車が有名だ。「走れメロス号」は1997年に導入されたキハ22形の愛称で、太宰治の小説『走れメロス』にちなむ。太宰が生まれた金木町はまさにこの線の沿線にある。音次郎温泉の天井壁画は、五所川原の人々がこの鉄道をどれだけ大切に思っているかを示す、さりげない表現だと思う。
メタケイ酸たっぷりのつるつる温泉
温泉の質が、この施設のもう一つの主役だ。湯は薄い茶褐色をしており、入ると肌がすぐにぬるぬるする感触がある。「メタケイ酸たっぷりでつるつるの湯」というのは、実際に入ってみると誇張ではないとわかる。
メタケイ酸(H₂SiO₃)は温泉成分の中でも保湿効果が高いとされる成分で、皮膚の代謝を助け、肌荒れ改善にも効果があるとされる。通常の温泉に含まれるケイ素の量は微量だが、五所川原市の地下地層は火山性の岩盤が多く、地下水がその成分を溶かし込みながら長時間をかけて浮上してくる。その結果、湯のつるつる感が際立っている。
ほんのり塩味があるのも特徴だ。口に含むとわずかに塩気を感じる。これは塩化物泉の性質で、体が温まりやすく、湯冷めしにくい。津軽平野の地下には古い海成層が残っており、その塩分を含んだ地層を通過してきた水が温泉として湧出している。単純泉でも塩化物泉でもない、複合的な成分を持つ湯だ。
遠赤外線ガスサウナ、88℃の安定した熱
サウナ室は男性浴室内にある遠赤外線型のガスサウナだ。温度は88℃、1段で男6人収容できる。テレビが設置されており、地元のニュースや天気予報が流れている。音声の音量は控えめで、静かに入っていたい人には邪魔にならない程度だ。
遠赤外線サウナは、フィンランド式のロウリュサウナとは発熱の仕組みが異なる。ガスバーナーで熱した遠赤外線パネルが、室内の人体に直接熱放射を当てる方式で、体の深部まで温まりやすいとされる。銭湯や旅館でよく使われる実用的なサウナで、設備コストが低く、温度管理がしやすいという特性がある。
88℃という温度は、サウナとして十分に熱い。水風呂は男性26℃、女性24℃で、どちらもかけ流し。サウナで体温を上げ、水風呂でリセットするという基本のサイクルをしっかり体験できる。2人が入れる水風呂は小ぶりだが、かけ流しであるため水質が常に新しい。温泉の成分が混じった水風呂という側面もあり、ただの冷水とは感触が異なる。
露天風呂と外気浴——ガラス張りの空間で整う
浴室の奥に露天風呂エリアがある。ガラス張りになっており、完全な開放感はないものの、外気が入り込む構造で外気浴スペースとして機能している。ガーデンチェアが1脚置かれており、タオルを敷いてゴロゴロできる。
「外気浴スペースにはガーデンチェアが1脚。タオルを敷いてゴロゴロ」
ガラス越しに見える空が、このスペースを単なる「廊下」以上のものにしている。浴室の中から外の光を感じながら横になれる。五所川原の空は平野が広がっているため、視界が開けている日は空の広さを感じる。晴れた日の昼間は光が差し込み、天井の桜壁画と組み合わさってなんとも柔らかい空間になる。
給水器が設置されているのも親切だ。サウナ後に水を飲みたいとき、脱衣所まで戻る必要がない。サウナと水風呂と外気浴の動線の中に給水があることで、体の水分補給が自然にできる。こういう細部の設計が、地元の人間が何十年も通い続ける理由のひとつだと思う。
380円という料金が持つ意味
大人380円。この数字を見たとき、最初は見間違えだと思った。青森県内の銭湯・温泉施設の相場は480〜600円前後で、サウナ込みで1,000円を超えることも珍しくない。380円でサウナも水風呂も露天風呂も温泉も全部使えるというのは、現代の感覚では驚異的だ。
料金が安い理由は複数考えられる。施設が旅館業と兼業しているため、日帰り入浴はあくまで補助的な収益源として位置づけられている可能性がある。あるいは、長年通い続けている地域住民への感謝として低価格を維持しているのかもしれない。理由がどこにあるにしても、380円でこの温泉とサウナと空間が手に入ることは、五所川原に暮らす人々の日常の豊かさそのものだ。
盛岡からここまで足を運ぶ人間には、入浴料より交通費のほうがずっと高い。しかし「この値段でこれだけのものが提供されている」という事実は、地方の温泉施設が地域コミュニティの中でどういう役割を果たしているかを考えさせてくれる。銭湯は価格競争の場所ではなく、地域インフラだ。
五所川原という町の文脈
五所川原市は津軽平野の中心に位置する。岩木山を西に望み、十三湖と日本海を北に控えた農業地帯だ。江戸時代には米作地帯として弘前藩の管轄下に置かれ、明治以降は陸奥湾と日本海を結ぶ内陸交通の要所として発展した。
津軽鉄道が1930年に開業したことで、農産物と人の移動がさらに活発になった。「走れメロス号」の走る沿線には、今も稲作農家が多い。秋になると車窓から黄金色の田んぼが続く景色が広がる。こういう農村の風景と、宿の浴室の天井に描かれた桜と列車の絵は、地続きだ。
音次郎温泉旅館は、そういう五所川原の土地の記憶を浴室に閉じ込めている。壁画を描いた人が誰なのか、どんな思いでこの絵を選んだのかは知らない。でも、毎朝6時に湯を沸かして、年中無休で地域の人に向けて扉を開けてきたこの場所には、そういう積み重ねの重さがある。
FACILITY DATA
| 施設名 | 音次郎温泉旅館 |
|---|---|
| 種類 | ホテル・旅館(日帰り入浴可) |
| 住所 | 青森県五所川原市石岡藤巻56-1 |
| 電話 | 0173-35-9885 |
| 営業時間 | 06:00〜22:00(年中無休) |
| 料金 | 大人380円〜 |
| サウナ(男) | 遠赤外線型ガスサウナ / 88℃ / 6人収容 / TV有 / 1段 |
| 水風呂(男) | 26℃ / 2人収容 / かけ流し |
| 水風呂(女) | 24℃ / かけ流し |
| 外気浴 | 露天風呂エリア(ガラス張り)/ ガーデンチェア1脚 |
| 温泉 | メタケイ酸豊富 / 薄茶褐色 / ほんのり塩味 / つるつる湯質 |
| 設備 | 天井壁画(桜・津軽鉄道「走れメロス号」)/ 給水器 / TV(サウナ室内) |
次に五所川原を訪れる機会があれば、夕方の時間帯に立ち寄ることを勧めたい。農作業を終えた地元の方々が入浴に来る時間帯と重なり、浴室に人の気配と湯気が満ちる。天井の桜と列車を見上げながら、五所川原の一日の終わりを湯の中で感じる——それがここの時間の使い方だ。