雪の積もった木造小屋と、煙突から青空へ流れる白い煙
YOMIMONO / 火のある暮らしの話 #22

世界の入浴文化5000年史。
熱で清め、汗で癒し、人をつなぐ。

文・橋本大治(D'STYLE 代表)|読了目安 12分

公開日:2023年9月21日 / 最終更新日:2026年9月27日

サウナの歴史は、「熱を制御する技術」の歴史です。石を焼いて、囲いをつくって、汗をかく。ただそれだけのことを、人類は5000年、世界のあちこちで磨き続けてきました。

私自身、フィンランドで煙に真っ黒くいぶされたスモークサウナに入ってきました。あの熱の向こうには、思っていたよりずっと長くて、ずっと広い物語がある。今日はそれを、世界のサウナ作法、日本のサウナ60年史、お風呂との違い、そしてヴィクトリア朝のトルコ風呂まで含めて、一周してみます。

はじまりは、地面の穴だった

最古の発汗浴の痕跡は、先史時代のスカンジナビアとシベリアにさかのぼります。地面を掘った半地下の部屋で石を焼き、焼けた石に水を注いで熱い空気を満たす。人が最初に手にした「持ち運べない暖房」であり、同時に風呂でした。アイルランドには「フラハト・フィア」と呼ばれる青銅器時代の焼け石の遺構が数千カ所も残っています。文明が文字を持つ前から、人類は石を焼いていました。

世界の発汗浴は、大きく4つに分類できます。湯を張る「浴場型」。火の熱で直接あぶる「ファイヤー型」。焼け石に水を打つ「ロウリュ型」。そして複数を組み合わせた「ハイブリッド型」。この4つの型が、時代と大陸を越えて現れては消え、また現れます。

ローマ帝国と、消えた熱

古代ギリシャは床下に熱気を通す「ハイポコースト」を発明し、ローマ帝国がそれを巨大化させました。テルマエです。数千人を収容する公衆浴場は、社交と政治と商談の中心でした。ところが帝国が崩壊すると、水道と床下暖房を維持する技術も資金も失われ、ヨーロッパの入浴文化はいったん途絶えます。熱をつくる技術というのは、案外もろいものでした。

中世ヨーロッパと、イスラムのハマム

中世のドイツ語圏には「バートシュトゥーベン」と呼ばれる蒸し風呂小屋が広がり、床屋や瀉血師が常駐する庶民の社交場になりました。しかし14世紀のペスト大流行で公衆浴場は感染の温床と見なされ、多くの町から姿を消します。

一方、ローマの浴場技術を正統に受け継いだのはイスラム世界でした。ハマムです。湿った熱で体を温め、垢すりと洗浄で身を清める。礼拝の前に体を清める宗教的な意味を持ったからこそ、ハマムは1000年以上、都市の中心で生き続けました。ヨーロッパで途絶えた熱が、地中海の対岸で守られていたのです。

アジアの熱、日本の湯

中国では宋の時代、都市に公衆浴場が立ち並び、庶民が銭を払って湯に浸かりました。インダス文明のモヘンジョダロには紀元前の大浴場が残り、インドのアーユルヴェーダは発汗を治療の一部に組み込んでいます。仏教寺院は入浴を修行の規律として整え、その文化が日本に渡って銭湯の源流になりました。日本が選んだのは、ロウリュの熱ではなく湯でした。火山の恵みで湯が湧く国は、そもそも石を焼く必要がなかったのかもしれません。

アメリカ大陸の、祈る熱

大西洋の向こうでも、人類は同じことをしていました。北米の先住民はスウェットロッジと呼ばれる小屋で石を焼き、祈りとともに汗を流しました。メソアメリカにはテマスカルという石造りの発汗室があり、治療や出産、精神的な再生の儀式の場として使われてきました。誰に教わったわけでもないのに、大陸がちがえば人はまた「焼け石と汗」にたどり着く。不思議なものです。

熱は、交易路を旅した

それぞれの熱は、ばらばらにあったわけではありません。ローマの技術はイスラムへ、イスラムの浴場はオスマン帝国を経て、またヨーロッパへ戻る。仏教は入浴の規律をアジアの東の端まで運び、北方の交易路はロウリュの文化を広げました。熱もまた、人と一緒に旅をしていたわけです。

北欧だけが、なぜ守り抜いたか

そして北欧です。煙突のないスモークサウナは、木と石でつくり、半日かけて石を焼き、煙を逃がしてからようやく人が入ります。焼けた石に水を打つと、熱い波がひと息に立ちのぼる。これがロウリュです。ペストにも近代化にもサウナが消されなかったのは、サウナが暮らしのまんなかにあったからでしょう。煙でいぶされた部屋は雑菌が少なく、フィンランドでは長いあいだ、赤ん坊が生まれる場所であり、病人が養生する場所でもありました。

私自身、フィンランドでも、リトアニアでも、スモークサウナに入ってきました。リトアニアでは、アリダスさんという方が自分の手で建てた小屋(壁の厚さは、なんと70cm)に招かれました。中は真っ暗で、煙でいぶされた木と石のにおいが、サウナー心をくすぐります。オーク(柏)のヴァンタ(葉の束)で体を叩いてもらうと、若葉の香りと熱の波が、肌の奥まで届いてくる。塩で肌をこすり、葉の香りを染み込ませ、最後ははちみつで包む。外はマイナス18℃、水風呂は雪へのダイブで十分でした。身体ぜんぶで森を感じて、時間を忘れる。あれこそ、5000年つづいてきた熱の、いちばん素朴で、いちばん豊かな形なのかもしれません。

世界のサウナ作法

旅先では、その土地のサウナに入る。これが、暮らしにいちばん近づける瞬間だと思っています。国が変われば、作法も変わる。ただ、どこへ行っても変わらない礼儀が三つあります。入る前に体を洗う。座るときはタオルを敷く。大声で話さない。この三つができていれば、たいていの国で「わかっている人」として迎えられます。

ドイツでは水着で入るとかえって驚かれます。標準は完全な裸。男女混浴もめずらしくない。時間になるとサウナマイスターが現れ、熱した石にロウリュを注ぎ、大きなタオルで熱波を送る「アウフグース」が始まります。エストニアの南部には、いまもユネスコ無形文化遺産の煙サウナが息づいていて、土曜の夜は家族でサウナに入る神聖な時間。白樺の若枝を束ねた「ヴィヒタ」で肩や背中をやさしく叩くと、血のめぐりがよくなって、森の香りが部屋いっぱいに立ちのぼります。

北欧のサウナは、なんといっても熱と冷の往復です。温まったら外へ出て冷やし、そのあとの静かな余韻をいちばん大事にしている。フランスのサウナは静寂を重んじ、ハンガリーには入浴後の仮眠室があり、韓国のチムジルバンでは館内着で一日をだらだら過ごし、トルコのハマムでは職人があかすりと泡で全身を清めてくれます。作法の違いには、その国の気質がよく出ます。迷ったら、まわりを見て、まねをすればいい。それでも分からなければ、近くにいる人に聞いてしまえばいいんです。

ヴィクトリア朝の「トルコ風呂」ブーム

19世紀のイギリスで一世を風靡した「トルコ風呂」は、トルコで生まれたのでもロンドンで生まれたのでもありませんでした。1856年、アイルランドの外交官アーカート氏と医師バーター氏が、古代ローマの床下暖房「ハイポコースト」を改良して作ったのが始まりです(Malcolm Shifrin, "Victorian Turkish Baths", Historic England, 2015)。蒸気で満たすのではなく、床から輻射で温めるという選択でした。

開業からわずか18か月で、追加の9か所が開き、最終的には数百規模にまで増えます。興味深いのは、シドニーの浴場が1859年に開業しており、ロンドン(1860年)より早いこと。名前だけ見るとオスマンのハマムの輸入に思えますが、実際に据えられていたのは乾式に寄った設備でした。名前と中身がずれていたのです。

バーター医師が選んだ「床下から熱を送る方式」は、盛岡で当たり前になりつつある床暖房や基礎断熱と、発想の場所が同じです。寒い土地で人をどこから温めるかという問いは、約170年前のアイルランドでも今の岩手でも変わりません。

日本のサウナ、60年の物語

日本にサウナが広く知られるきっかけは、1964年の東京オリンピックだったと言われています。フィンランドの選手団が選手村に自前のサウナを持ち込み、「北欧の強豪選手たちが使う謎の蒸し風呂」が話題を呼びました。ちょうど高度成長のただ中、サウナは一気に広まっていきます。

もっとも、日本人と蒸気の付き合いはもっと古いのです。奈良時代の寺院の施浴、鎌倉の蒸し風呂、そして東北には焼けた石に水をかけて蒸気を立てる石風呂の記憶が脈々とありました。「蒸気で汗をかいて体を清める」文化の下地は、この国に千年以上前からあったのです。雪深く、湯と蒸気で体を芯から温める知恵を積み重ねてきた東北は、フィンランドの気候ともよく似ています。

高度成長期に都市部に林立した「サウナビル」、平成の健康ランドとスーパー銭湯。この時代に日本人の大多数が「サウナに入ったことがある」国民になりますが、ロウリュも外気浴も知らないまま、ただ熱さを我慢する部屋として、でした。そして令和。日本のサウナはようやく本場の楽しみ方と合流し、個室サウナ、テントサウナ、家庭用サウナへ。六十年かけて、サウナは「施設で我慢するもの」から「暮らしで楽しむもの」へ、たどり着いたのです。

お風呂とサウナ、何が違うのか

日本人ほど、お風呂の好きな国民はいません。その湯の国にいま、蒸気の国フィンランドのサウナが根を下ろしつつある。お風呂は湯という液体に体を浸す。水は空気よりずっと熱を伝えやすいので、四十度そこそこでも体はしっかり温まります。サウナは熱い空気と蒸気に包まれる。八十度、九十度でも入っていられて、水圧がないぶん、体はただ座っているだけでいい。長風呂が苦手な方がサウナなら気持ちよく続けられた、という話をよく聞きます。

お風呂の得意は、毎日の疲れをほどくこと。浮力が体を軽くし、ぬるめの湯ならそのまま眠りに直行できる。サウナの得意は、心まで洗うこと。汗と一緒に頭のもやもやを流し、水風呂で目を覚まし、外気浴で空を見る。うれしいことに、この二つは順番に楽しむと、いいとこ取りができます。サウナでたっぷり汗をかいて、最後にぬるめの湯船にゆっくり浸かって仕上げる。自宅にサウナがあれば、この黄金コースが毎晩できます。

5000年たっても、核はひとつ

熱で体を清めて、回復させて、人と人をつなぐ。
むかしから、ずっとそれだけなんですよね。

テルマエもハマムもテマスカルもトルコ風呂も、形はてんでばらばらです。それでも、芯にあるものは変わりません。熱で体を清め、汗のあとには深い回復が訪れると信じ、その熱い部屋にみんなで集まる。この三つがそろっていたから、発汗浴は大陸をこえて5000年も生き延びたのだと思います。ただ、熱は薬ではありません。心臓や血圧に不安のある方はお医者さんに相談して、体調と相談しながら、無理のない範囲で楽しんでください。

その5000年の伝統の、いちばん新しい形が、いまのフィンランド式サウナです。木と石と火という芯はそのままに、磨かれてきたのは技術のほうだけ。私自身のフィンランドでの体験はフィンランド・サウナ紀行に書いています。

人類が5000年かけて磨いてきた熱を、自宅に置ける時代になりました。盛岡・国道4号線沿いのショールームには、薪とロウリュの実物があります。サウナの設計・施工のページをのぞいて、よかったら火にあたりに来てください。ご相談は無料です。

出典:Rait Hõbepappel & Siim Nellis『Sauna: 歴史、文化、健康、建設』(2023)/Malcolm Shifrin, "Victorian Turkish Baths", Historic England, 2015

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写真: Tiia Monto (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)、Ximonic (Simo Räsänen) (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)、Koda6029 (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)

D'STYLE
橋本 大治(有限会社D'STYLE 代表)

住田町の山主だった祖父から三代、火と生きてきました。英国RODTECH社認定の煙突掃除 安全インストラクター(東北第一号)。盛岡・国道4号線沿いのショールームにいます。

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