フィンランドのサウナ文化を、この読みものでは何度も取り上げてきました。ただ、熱い部屋で汗をかく文化は、フィンランドの外にもあります。お隣ロシアには「バーニャ」という、千年以上続くとされる独自の蒸し風呂文化があります。
前半では、バーニャの作法と歴史を紹介します。後半では、帝政ロシアの浴場と死亡率を統計で調べた研究を取り上げ、「熱があれば健康になる」という素朴な期待がどこまで通用するのかを考えます。
バーニャとヴェニク
バーニャは、ロシアに古くから伝わる蒸し風呂です。フィンランドのサウナが比較的乾いた熱を基本とするのに対し、バーニャは蒸気を多く使う、より湿度の高い環境が特徴とされています。
バーニャの文化を語るうえで欠かせないのが「ヴェニク」です。ヴェニクとは、白樺やオーク、ときにユーカリの葉つき枝を束ねたもので、ロシア語で単純に「箒(ほうき)」を意味します。この枝の束を使って、蒸し暑い部屋の中で互いの体を叩いたりさすったりする「パレーニエ」という施術が、バーニャの中心的な儀式のひとつです。蒸気で温めた葉から立つ香りとともに、皮膚に軽い刺激を与える行為で、千年以上にわたって受け継がれてきたとされています。
フィンランドのサウナにも「ヴィヒタ」という、白樺の葉つき枝で体を叩く似た習慣があります(こちらは当サイトの別の記事で詳しく紹介しています)。同じ北方の森の恵みを使いながら、ロシアとフィンランドでそれぞれ違う名前と作法で発展してきたというのは、興味深いところです。
誕生と別れの場所だった
バーニャは、ロシアの生活史の中で単なる入浴施設以上の役割を担ってきました。かつては、女性がバーニャで出産することもあり、また誰かが亡くなったときに、弔いに集う人々の場としても使われてきたとされています。清潔を保つ場所であると同時に、人生の節目に立ち会う場所でもあったわけです。
18世紀には、当時の医師たちの中に、バーニャが医療の代わりになりうると考える人もいたと伝えられています。エカテリーナ2世の侍医のひとりも、バーニャが医療需要の三分の二を代替しうると考えていたという逸話が残っています。もちろんこれは当時の考え方であり、現代の医学的な知見に基づくものではありません。それでも、バーニャがそれほどまでに生活の中心にあった、という文化的な重みを示すエピソードとして紹介しておきます。
人と人をつなぐ場所として
バーニャのもうひとつの特徴は、社会的なつながりを深める場としての役割です。熱い部屋を共有し、互いにヴェニクで叩き合う。この経験が、人々の距離を縮め、より対等な立場でのコミュニケーションを生むと考えられてきました。現代のロシアでも、モスクワをはじめとする都市に伝統的なバーニャ施設が残り、地元の人々が日常的に利用しているといいます。
帝政ロシアの統計が示したこと
「風呂に入る人が増えれば、街は健康になる」。そう信じたくなる話です。しかし、それを実際の数字で確かめた研究者がいました。
経済学者のコンスタンティン・カシン氏と、ロシア史を専門とするイーサン・ポロック氏(ブラウン大学)は、2013年に発表した論文「Public Health and Bathing in Late Imperial Russia: A Statistical Approach」(『ロシアン・レビュー』誌 第72号)で、19世紀ロシアの公文書統計を使い、浴場の分布密度と死亡率の関係を定量的に分析しました。
結果は、通俗的な期待とは違うものでした。浴場の分布密度と死亡率の間に、改善効果は認められなかったのです。さらに踏み込んだ数字もあります。浴場の数が多い地域ほど、赤痢の広がりと正の関連を示しうる、という報告です。正の関連というのは、浴場が増えるほど赤痢も増える方向に数字が動く、という意味です。
ここで大事なのは、この研究はあくまで統計的な関連を見たものであり、「浴場が赤痢を引き起こした」という因果関係を証明したものではない、という点です。関連と因果は別のものです。研究が示しているのは、「熱と湯があれば健康になる」という単純な図式が、少なくとも19世紀ロシアの統計では支持されなかった、という一点です。
水の管理が、結果を分けた
論文自体が原因を一つに絞っているわけではありませんが、多くの人が同じ水を使う施設では、水そのものの管理が結果を左右する、という見方は成り立ちます。熱があっても、水の入れ替えや排水の仕組みが追いつかなければ、清潔さは保てません。
ポロック氏は同じテーマで単著『Without the Banya We Would Perish: A History of the Russian Bathhouse』(オックスフォード大学出版局、2019年)を刊行し、フィナンシャル・タイムズ紙の2019年歴史部門ベストブックにも選ばれています。あくまで帝政期ロシアの統計解析と歴史の話であり、現代の設備の性能を論じたものではありません。

岩手で、火と水の文化を考える
バーニャもフィンランドのサウナも、根底にあるのは「熱で体を温め、そのあとに冷やす」という共通の構造です。ヴェニクとヴィヒタ、蒸し暑い部屋と乾いた部屋。細部の作法は違っても、火のそばに人が集まり、体と心をほぐすという営みは、驚くほど似た形で世界各地に根づいています。
この研究を読んで、私たちが思い出すのは自社の見積書です。自宅サウナの相談を受けるとき、必ず項目に入れているものがあります。給排水の経路、水風呂の水の入れ替え頻度、使用後にサウナ室内をどう乾かすか、そして岩手の冬に配管を凍らせない納め方です。
熱と水は別々に設計するもの。160年前の統計が示したのは、その順番を間違えると結果がついてこない、という一点でした。当社が扱う薪ストーブやサウナも、根っこにあるのは同じ営みです。ロシアのバーニャのように、家族や仲間と体験を共有する場として、火のある暮らしを考えていただければと思います。
よくあるご質問
Q. バーニャとフィンランドサウナは、何が違いますか。
バーニャは比較的湿度の高い蒸気を多く使うとされ、ヴェニク(白樺などの葉つき枝)で体を叩くパレーニエという施術が特徴です。フィンランドサウナは乾いた熱を基本とし、ロウリュで一時的に蒸気を立てる点が異なります。
Q. ヴェニクとヴィヒタは同じものですか。
どちらも白樺などの葉つき枝を束ねたもので、体を叩く・さする用途は共通しています。名称と細かな作法、使われる文化圏(ロシアとフィンランド)が異なります。
Q. 日本でバーニャのような体験はできますか。
本格的なバーニャ施設は限られますが、薪サウナストーブと蒸気(ロウリュ)を組み合わせることで、近い体験を自宅でつくることは可能です。ご興味があればご相談ください。
D'STYLEは盛岡で薪ストーブとサウナを扱っています。世界各地の火と蒸気の文化を知ることは、自分たちの暮らしに合った形を見つけるヒントにもなります。ご相談は無料です。
参照した研究
- Konstantin Kashin, Ethan Pollock, "Public Health and Bathing in Late Imperial Russia: A Statistical Approach", The Russian Review vol.72 (January 2013), pp.66-93
- Ethan Pollock, Without the Banya We Would Perish: A History of the Russian Bathhouse, Oxford University Press, 2019
本記事は、ロシアのバーニャ文化に関する一般的な紹介と、帝政ロシアの統計研究の読み解きです。18世紀の医師の逸話は当時の考え方として紹介したものであり、現代の医学的な効果を示すものではありません。サウナの設置・使用による疾病の予防や治療の効果を保証するものでもありません。